初めて見た時の衝撃が忘れられない「猿の惑星」
1968年に公開された映画「猿の惑星」は、SF映画史において特別な地位を確立している。物語の展開、独創的な世界観、そして強烈なラストシーンは、多くの観客に衝撃を与えた。今なお語り継がれ、リメイクや続編が作られるなど、時代を超えて愛され続けている作品である。本記事では、そのあらすじと見どころ、そして作品が問いかけるテーマについて詳しく見ていこう。
あらすじ
宇宙船のクルーである主人公テイラーたちは、地球から遠く離れた未知の惑星に不時着する。そこは奇妙な世界だった。言葉を話し、高度な文明を築いた猿たちが支配する一方で、人間は知性を持たず、家畜のように扱われていたのだ。
やがてテイラーは猿たちに捕らえられ、科学者であるジーラやコーネリアスと出会う。彼らはテイラーが他の人間とは異なり、知性を持っていることに驚き、彼を研究しようとする。しかし、猿社会の支配層は「人間が知性を持つ」という事実を認めたくない。彼は危険視され、処刑されそうになるが、ジーラたちの助けを借りて脱出する。
逃亡の果てにテイラーがたどり着いたのは、ある遺跡。そこに隠されていたのは、この惑星の驚くべき真実だった。
見どころ
「猿の惑星」が長く語り継がれる理由のひとつは、その卓越したストーリーテリングにある。映画全体を通じて観客はテイラーと共に驚き、惑星の謎を解き明かしていく。その中で特に注目すべきポイントを紹介しよう。
1. 緻密に作り込まれた猿社会
猿たちは単なる「知能を持つ動物」ではなく、人間社会を反映した複雑な文明を築いている。階級制度があり、科学者・軍人・宗教指導者といった役割がはっきりと分かれているのだ。特に権力を握るのは宗教的な立場にあるドクター・ザイアスであり、彼は人間の知性を認めようとしない。この社会構造が、映画のテーマをより奥深いものにしている。
2. 特殊メイクの革新
当時の映画技術を考えると、「猿の惑星」のメイクの完成度は驚異的である。俳優たちが演じる猿のキャラクターは、表情豊かで感情を持っていることが伝わる。これにより、観客は彼らを単なる「異形の存在」ではなく、一つの種族として受け入れることができた。
3. 圧倒的なラストシーン
この映画を語る上で欠かせないのが、ラストシーンだ。ここでテイラーが目にする光景は、観客に衝撃を与え、「これは単なるSF映画ではない」ということを強く印象づける。この結末があるからこそ、「猿の惑星」は名作として語り継がれているのだ。
映画が問いかけるもの
「猿の惑星」は単なるエンターテインメント作品ではない。深いテーマ性を持ち、観る者にさまざまな疑問を投げかける。いくつかの重要なテーマについて考えてみよう。
1. 進化とは何か?
この映画では、人間と猿の立場が逆転している。知性を持つ者が支配し、知性のない者が支配される構図は、私たちが普段考える進化の概念を揺さぶるものだ。「知性がある=支配する側」という価値観は、本当に普遍的なものなのか。これは現代社会にも通じる問いかけである。
2. 歴史を隠すことの恐ろしさ
劇中、猿社会の権力者たちは、ある重要な事実を隠そうとする。彼らにとって都合の悪い事実を隠蔽し、支配体制を維持しようとするのだ。これは現実社会にも見られる問題であり、映画を通じて「歴史とは誰が作るものなのか?」という深いテーマを考えさせられる。
3. 人間の愚かさと傲慢さ
物語の根底にあるのは、「人間とは本当に優れた存在なのか?」という問いだ。映画の中で描かれる人間の姿は、決して誇れるものではない。言葉を話さず、支配されるだけの存在として描かれているが、テイラーを通じて「かつて人間が何をしてきたのか」が示唆される。ラストシーンの衝撃が示すのは、人間の愚かさへの痛烈な警鐘なのかもしれない。
まとめ
「猿の惑星」は、単なるSF映画ではなく、社会に対する批評性を持った作品である。そのストーリー、視覚効果、哲学的な問いかけは、公開から半世紀以上経った今でも色あせることがない。
初めてこの映画を観たとき、多くの人がラストシーンに衝撃を受けたことだろう。しかし、改めて見直してみると、その衝撃の背景には、深いメッセージが込められていることに気づくはずだ。もしまだ観ていないのなら、ぜひ一度この名作に触れてほしい。そして、そのメッセージを自分なりに考えてみるのも、この映画の楽しみ方の一つである。